倫理という力

倫理という力 (講談社現代新書)

倫理という力 (講談社現代新書)

読了。章によってばらつきを感じるが、高校生でも読めるもの。特に、「第三章 約束はいかに守られるべきか」は興味深い。

  • 躾が社会の圧力によって為されるものだとすれば、まず躾が約束を守らせることから始められるのは当然だろう。躾は、子供が人並みに生きていけることを願って為されるのではない。そんなことを言うから、子供は余計なお世話だと反発する。躾は、何よりも社会が社会のためにするものだ。親は、いわば社会の圧力を委託されて子供の躾をする。それは、しきたりや因習や共同体の掟に従順な人間を作るためではない。約束が成立する場面に、親も子も共に義務を負っているからである。義務を負っているが故に、しきたりや因習や共同体の掟と闘わねばならないことがある。躾は、子供をそうした戦いに備えされるかもしれない。それなら、それでよい。/晩の十時までに家に帰ると約束したら、十時までに帰る。帰れと親に命令されたから帰るのではなく、親と約束したからそうする。約束を守れと命令するのは、自分でなくてはならない。なぜ、十時半ではだめなのか、十時四十分ではだめなのか、そんなことを考える必要はない。約束をする義務、守る義務が、家族に対してあるのだ。(p.76)


これができれば苦労しないが、倫理的にということはこういうことなのかもしれない。今の子供らにどれだけ通じるかは疑問だが、崇高に生きること、「よく」生きることとは、どういうことなのかは、折に触れ伝えたい。


何よりも自分がそういう姿勢をもって生きることが、もっとも分かりやすく子供らに伝える方法だと思う。そのように生きるには、まだまだ修行が必要な身なので何とも言えないが、少なくとも考えているという姿勢は、日々訴えていこうと思う。